中学生・都立入試対策シリーズ・社会「宮城県」

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理由とは?

 

では、過去問を全て分析し、以下のように、

都立高校合格に必要な情報をカバーしています。


 

高校受験にでる「宮城県」: 都立高校入試・社会対策(大問3)


 

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3分で覚える[宮城県] – 都立高校入試・社会 大問3対策

都立高校受験対策として、

社会の大問3で出題される各都道府県の特徴を学んでいきましょう。

この記事では、宮城県の特徴を確認します。

 

気候

  • 夏に降水量が多い。
    理由:夏に南東から湿った季節風が吹くから。

 

自然

  • 宮城県北東部の三陸海岸はリアス式海岸となっています。
  • リアス式海岸:入り江と岬が複雑に入り組んでいる海岸線(ギザギザしているところ)です。
  • 宮城県と山形県との県境には奥羽山脈があります。
  • 奥羽山脈:青森県から福島県まで、東北地方の中央部をタテに連なっている山脈。長さはおよそ500キロメートル。日本で一番長さの長い山脈である。

 

第一次産業(農業)

  • 宮城県ではわかめ、牡蠣(かき)などの養殖が盛んです。
  • 理由:リアス式海岸の湾内では一年を通して波が低く穏やかです。したがって、養殖場をつくるのに適した環境となっています。波が荒れて養殖用の施設が壊れたり流されたりすることが少ないからです。
  • 養殖業:「卵→稚魚→成長した魚(成魚)→漁獲」までのすべての段階を人間の管理下で人工的に行う漁業です。
  • 宮城県には多くの漁港があり、漁業が盛んである。
    理由:宮城県の沖合には潮目があるから。
    潮目:東北地方の太平洋側にある、暖流の黒潮(日本海流)と寒流の親潮(千島海流)が出会う場所。両方の海流にのって多くの魚が集まる好漁場となる
  • 宮城県では稲作が盛ん。全国でも有数の米の産地である。「稲作地帯」は「米どころ」「水田単作地帯」「穀倉地帯」などの呼び名があります。

 

仙台市

  • 仙台市は伊達氏(だてし)の城下町として発展した。江戸時代から植林が盛んで、木が多いことから杜の都(もりのみやこ)という愛称がある。
  • 仙台市は東北地方の地方中枢都市である。
  • 地方中枢都市:それぞれの地方の中心的な都市。中央官庁の出先機関や大企業の支店が集中する。
     
    北海道地方―札幌市(北海道)
    東北地方―仙台市(宮城県)
    中国地方―広島市(広島県)
    九州地方―福岡市(福岡県)
     
    があります。関東・中部・近畿は「地方」ではなく「大都市圏」なので地方中枢都市はありません。(それぞれ、東京・名古屋・大阪がありますね。)
  • 仙台市は人口百万人を超える政令指定都市である。
  • 政令指定都市:全国に20市が指定されている。指定するのは内閣。
    「政令」とは、内閣が制定する命令のことである(公民分野の知識)
    人口が50万人以上であることが政令指定都市に指定されるための条件である。
    政令指定都市に指定されると、都道府県と同等の権限を持つことができる。
  • 仙台市には新幹線が通っている。仙台と東京は短時間で移動が可能である。

 

第三次産業(サービス業)

  • 仙台七夕まつり:宮城県仙台市で毎年8月に開催されている夏祭り。東北三大夏祭りの一つ。毎年200万人以上の観光客が訪れる。

 
 
宮城県に関しては、

①リアス式海岸

②稲作

③仙台市関連

をまず覚えましょう。

 
 
以上、『高校受験にでる「宮城県」:都立高校入試社会大問3対策』でした。
 
 


 
 

他の都道府県についても、こちらから学習できます。

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【北千住】の豆知識

北千住の歴史

勝專寺の寺伝によると、1327年(嘉暦2年)に新井図書政次が荒川で網で千手観音像を拾い、この地を千手と呼んだことに由来するようです。

この像は息子でありこの寺の開基でもある新井兵部政勝によって同寺に移安されたとされています。

他には、足利義政の愛妾千寿の出生地であったからという説や、千葉氏が住んでいたからだという説が知られています。

1594年、徳川家康が墨田川に架けた最初の橋が千住大橋でした。

このことからも千住が江戸の北の入り口として重要視されていたことが分かります。

千住は日光街道・奥州街道の宿場として発展しました。

江戸から一つ目の宿場であり、江戸四宿の一つでした。

元の千住宿は1-5丁目に分けられて本宿、最初に追加された3町は新宿、対岸の2町は南宿(下宿)と呼ばれていました。

いわゆる「岡場所」の一つであり、当時の船頭たちが歌った「千住節」の一節「千住女郎衆はいかりか綱か 上り下りの舟とめる」というのはこれを指しています。

また江戸市街の喉もとで奥州街道、水戸街道の始点として、日光・東北方面への旅人で賑わったといわれています。

松尾芭蕉の奥の細道は、元祿2年(1689年)深川の芭蕉庵を出発し、「門人に見送られ、彼等と千住で別れる時に「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を詠み、それを「矢立てのはじめ」として、そこから旅が始まります。

また、練馬のダイコン、目黒のタケノコ、尾久のゴボウなどと並んでネギの名産地として有名でした。

明治以降郡区町村編制法の施行を経て、南組を東京府北豊島郡南千住町、北組、中組は併合して同府南足立郡千住町とし郡役所を同町に置きました。

1871年(明治4年)7月17日、千住黴毒院(ばいどくいん)が開設され、宿娼妓に梅毒検査が行われています。

『経済及統計』(内務省・明治23年2月)によれば、1883年(明治16年)の千住宿の売娼妓数374、買客数43,000、1888年(明治21年)にはそれぞれ466、65,000との記録があります。

いずれも二廓四宿においては内藤新宿、板橋宿を上回っていました。

1881年(明治14年)10月11日、三条太政大臣、岩倉右大臣が当宿に東北巡幸帰還中の明治天皇を迎え、大隈重信の免職と国会開設の命令を受けています(明治十四年の政変)。

また水利の好条件を生かし、官営千住製絨所・隅田川駅(貨物駅)・千住火力発電所などが置かれ、もって舟便のよいことが近在農村に広く知られるようになり、昭和20年代まで青物、川魚の朝市が毎朝のように開かれました。

1930年(昭和5年)の国勢調査によれば、北豊島郡南千住町の人口は56,017人で郡内20ヶ町村中7位の規模であり、南足立郡千住町は69,085人で郡中最大でした。

1932年(昭和7年)10月1日、両町とも東京府東京市の一部となり消滅しました。