中学生・都立入試対策シリーズ・社会「東京都」

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理由とは?

 

では、過去問を全て分析し、以下のように、

都立高校合格に必要な情報をカバーしています。


 

高校受験にでる「東京都」: 都立高校入試・社会対策(大問3)


 

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3分で覚える[東京都] – 都立高校入試・社会 大問3対策

都立高校受験対策として、

社会の大問3で出題される各都道府県の特徴を学んでいきましょう。

この記事では、東京都の特徴を確認します。

 

気候

  • 温帯と亜熱帯:東京都の大部分は温帯に属しています。これは、日本の大部分と同様です。しかし、小笠原諸島など亜熱帯気候に属している島があります。

 

自然

  • 東京都の大部分は関東平野上に位置しています。
  • 関東平野:日本最大の平野。面積は四国と同じくらい。関東ローム層と呼ばれる赤土がある。
  • 関東ローム層:富士山や浅間山などの火山の噴火によって生じた赤土の層。
  • 太平洋に浮かぶ複数の島が東京都に属しています。
  • 小笠原諸島:独自の生態系をもつ亜熱帯気候の島です。世界自然遺産に登録されています。
  • 伊豆諸島:八丈島・三宅島などの島々です。つばき油の生産が有名です。

 

第二次産業(工業)

  • 印刷業と出版業が盛んです。印刷業の出荷額が全国第一位となっています。新聞社や出版社が東京都に集中しているからです。
  • 印刷業:書籍、雑誌、チラシ、カレンダー、パンフレットなど各種印刷物を作成する業種。
  • 出版業:書籍や雑誌を製作し、販売する業種。『週刊少年ジャンプ』の集英社や『週刊少年マガジン』の講談社などが有名です。
  • 精密機械の生産が盛んです。
  • 精密機械:小さな部品で構成された機械のこと。時計・医療機器・パソコンなど。

 

第三次産業(サービス業)

  • 航空機による国内輸送の量が多いことが特徴です。羽田空港発着の国内線の飛行機の便が多いことが理由です。
  • 国内線:離陸する場所と着陸する場所が同じ国内にある飛行機の路線のこと。
    例:羽田空港発福岡空港行き
  • 羽田空港:正式名称は「東京国際空港」。世界で4番目に乗降客数が多い空港である。国内線が多いが、近年国際線にも力を入れている。千葉県にある成田国際空港と比較されるとことが多い。成田国際空港に比べ、羽田空港のほうが都心からのアクセスが良い。

人口

  • 東京都は、日本で一番人口が多い都道府県です。
  • 日本三大都市圏の1つに含まれています。
  • 日本三大都市圏:①東京圏(首都圏)②大阪圏(近畿圏)③名古屋圏(中京圏)
    特に東京は日本の首都であり日本の政治・経済の中心地です。
  • 夜間人口に比べて昼間人口が多いのが特徴です。昼夜間人口比率は100を大きく上回っています。
    理由:近隣の県から東京にある学校や会社に通学・通勤してくる人の数が多いから。
  • 昼間人口:その場所に住んでいる人の数+ほかの地域から通勤・通学している人の数―ほかの地域へ通勤・通学している人の数。
  • 夜間人口:その場所に住んでいる人の数。
  • 昼夜間人口比率:夜間人口を100とした昼間人口の指数のこと。これが100を下回ると昼間人口<夜間人口、100を超えると昼間人口>夜間人口である。

 

歴史

  • 大正時代:関東大震災が発生した。
  • 関東大震災:神奈川県の相模湾沖を震源とする大地震。10万人以上が亡くなったとされる。主な死因は火災による焼死。ちなみに阪神淡路大震災では建物や家具などに押しつぶされた圧死、東日本大震災では津波などによる溺死が多かった。関東大震災が発生した9月1日は「防災の日」に制定されている。
  • 高度経済成長期:1964年に東京オリンピックが開催されました。同年、東海道新幹線が開業しました。
  • 東海道新幹線:東京駅から新大阪駅までを結ぶ新幹線の路線。世界初の高速鉄道である。

 
 
東京都に関しては、

①昼間人口が多い

②印刷業

③亜熱帯気候

まずはこの3つを覚えておきましょう。
 
 
また、東京オリンピックが開催されたのが高度経済成長期であることは、社会大問4(歴史)で頻出です。

別途必ず覚えておいてください。

 
 
以上、『高校受験にでる「東京都」:都立高校入試社会大問3対策』でした。
 
 


 
 

他の都道府県についても、こちらから学習できます。

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【北千住】の豆知識

北千住の歴史

勝專寺の寺伝によると、1327年(嘉暦2年)に新井図書政次が荒川で網で千手観音像を拾い、この地を千手と呼んだことに由来するようです。

この像は息子でありこの寺の開基でもある新井兵部政勝によって同寺に移安されたとされています。

他には、足利義政の愛妾千寿の出生地であったからという説や、千葉氏が住んでいたからだという説が知られています。

1594年、徳川家康が墨田川に架けた最初の橋が千住大橋でした。

このことからも千住が江戸の北の入り口として重要視されていたことが分かります。

千住は日光街道・奥州街道の宿場として発展しました。

江戸から一つ目の宿場であり、江戸四宿の一つでした。

元の千住宿は1-5丁目に分けられて本宿、最初に追加された3町は新宿、対岸の2町は南宿(下宿)と呼ばれていました。

いわゆる「岡場所」の一つであり、当時の船頭たちが歌った「千住節」の一節「千住女郎衆はいかりか綱か 上り下りの舟とめる」というのはこれを指しています。

また江戸市街の喉もとで奥州街道、水戸街道の始点として、日光・東北方面への旅人で賑わったといわれています。

松尾芭蕉の奥の細道は、元祿2年(1689年)深川の芭蕉庵を出発し、「門人に見送られ、彼等と千住で別れる時に「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を詠み、それを「矢立てのはじめ」として、そこから旅が始まります。

また、練馬のダイコン、目黒のタケノコ、尾久のゴボウなどと並んでネギの名産地として有名でした。

明治以降郡区町村編制法の施行を経て、南組を東京府北豊島郡南千住町、北組、中組は併合して同府南足立郡千住町とし郡役所を同町に置きました。

1871年(明治4年)7月17日、千住黴毒院(ばいどくいん)が開設され、宿娼妓に梅毒検査が行われています。

『経済及統計』(内務省・明治23年2月)によれば、1883年(明治16年)の千住宿の売娼妓数374、買客数43,000、1888年(明治21年)にはそれぞれ466、65,000との記録があります。

いずれも二廓四宿においては内藤新宿、板橋宿を上回っていました。

1881年(明治14年)10月11日、三条太政大臣、岩倉右大臣が当宿に東北巡幸帰還中の明治天皇を迎え、大隈重信の免職と国会開設の命令を受けています(明治十四年の政変)。

また水利の好条件を生かし、官営千住製絨所・隅田川駅(貨物駅)・千住火力発電所などが置かれ、もって舟便のよいことが近在農村に広く知られるようになり、昭和20年代まで青物、川魚の朝市が毎朝のように開かれました。

1930年(昭和5年)の国勢調査によれば、北豊島郡南千住町の人口は56,017人で郡内20ヶ町村中7位の規模であり、南足立郡千住町は69,085人で郡中最大でした。

1932年(昭和7年)10月1日、両町とも東京府東京市の一部となり消滅しました。